くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

戻ってやり直せたらいいのに、と思う瞬間

 

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高校生の頃、特にテストが終わった後は、もっとあの辺りを勉強していれば良かった、とか。時間を巻き戻したい欲求にしばしば襲われていた。

名探偵コナンを見れば、自分も小学校に頭脳このまま戻りたい、と思ったこともあるし、時をかける少女を見たときには、私もタイムリープをして夏休みをもう一回過ごしたいって思った。

 

けれども、いつからだろうか。

学生の頃にできなくて悔しい思いをしたこと、あっちを選んでいたら自分はどうなっていたのだろうか、という好奇心は今はもうない。

ほとんどきれいさっぱり、戻ってやり直したいという気持ちはどこかに行ってしまった。

働くことは楽しいし、責任が伴う分だけ自由の幅が大きい。しかも多分、世界は大人が楽しめるようにできているようで、大人が楽しめるエンターテイメントは多くて、エキサイティングだ。

 

何より、失敗を重ねたり、悔しい思いをしたあの時の自分がいたから、今の自分がいる、つまり、そういった苦い経験も今の自分を形作っている大事な記憶であり、思い出であるから、消してしまったり、変えてしまったら、きっと今とは全然違う自分になってしまう。

今、自分は自分が好きで、誰にも代わってもらいたくないし、代わりたいとも思わない、私だけの楽しい人生を歩んでいるから、そういった自分を変えたくない、と思っている。

だから、あれほど考えていたタイムリープができたら、の「たられば」も、今の私にとってはもう既に、過去の自分の妄想であり、そんな「たられば」を考えるくらいなら、今の自分で最大限、今を楽しむためには何をしたら良いのか、を考える時間に充てたいと本気で思う。

 

そんな、過去に戻りたいとはもはや思わない、私。だと自分で思っていたのだけれど、最近、一つだけ、あることに関して言えば、過去に戻りたい、と思っていることに気がついた。

 

それは、「本との出会い」だ。

 

私は小さいときから本が大好きだ。

物語を読むときはいつもわくわくした。ナルニア国物語を読み始めたときは、ワードロープを抜けた先にあった世界にワクワクして、自分もナルニアに行けないものか、家中のクローゼットを開けたり閉めたりしていた。

お母さんの衣装タンスがナルニアに登場するワードロープと似ていて、母の留守中にこっそり入り込んで、扉を開けたらナルニアにワープしていないか、何度か試したこともある。

ハリーポッターシリーズにもはまった。一巻でハリーが魔法と出会って、杖やら学校の教科書やらを買い込むシーンは何度も読み返した。

獣の奏者シリーズも面白かった。続編が出たときは早く読みたくて一生懸命お小遣いを貯めた。

 

どのお話もそうだけど、最初の一回は本当に特別だ。最初の一回目に読む時、というのは、その世界のことをまだ何も知らなくて、頭に入ってくる情報の全てが新鮮で、次に次に早く読みたくて仕方なくなる。

敵役だった登場人物が助けにくる展開とか、味方だと思っていたやつが的になったりする展開で感じるドキドキ。それは最初に読んだときにしか味わえない。二回目に読むときは読むときで、前後関係を知っているが故に感情を理解しながら読むから、それはそれで面白いのだけれど、それでも、どの物語であっても、始めて読むドキドキ感というものは何者にも代え難い、貴重な感情だ。

 

一回ぽっきりだからこそ、すごく貴重で、大切な時間であり、記憶なのかもしれない。こればっかりは、どんなにお金を積んでも、買えない感情だ。だからたまに本を読み返すと、考えてしまう。

過去に戻って自分を変えたいとは思わないけれど、もしも過去に戻れるのであれば、あの数々の面白い物語を知らない自分に戻って、またあのドキドキやワクワクを感じたい。と。

 

戻れないのなら、その本を読んだ記憶だけ消す薬、なんてものがあったら飲んでしまうかもしれない。一時的に、その本に関する記憶だけ失って、読み終えて感動を味わった後に思い出す。

そんな近未来的な読書体験ができる時代がやってきたりしないだろうか。