くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

映画『SING』を観て考えさせられた、『やりたいこと』の意味

気をつけてはいますが、『ネタバレ注意』です。

 

 

2016年の終わりに公開された映画『SING』

映画を年間100本観よう、という目標に向けて、昨年末に字幕版で観ました。(ちょうどAmazonプライムで観る事が出来たので)

歌が入っているやつは元のやつで観た方が、歌のクオリティとかが監督に沿っていていいかな、と思ったので、歌が入っている物は毎回字幕で観ます。

 

が、年があけて先日、親しい友人との新年会で

『SING』は吹き替えもめちゃめちゃいい

と勧められて、吹き替えでも観てみる事に。

確かに、Misiaスキマスイッチの人、あと声優が本職の人達も、結構歌が上手くて思いの他よかったです。

友人から聞いたのですが、吹き替えを許された国は日本しかないそうです。歌のクオリティを保つため、他の国では字幕のみとのこと。

吹き替えをつくるための資本が集まって、制作チームをしっかり構築できる日本の企業さんに感謝です。

 

 

というわけで、『SING』は二回目の鑑賞となったのですが、観ていて、なかなかに現代の、特に先進国の若者の悩みを代弁したキャラクターがいたな、と思いました。

 それが、

大金持ちの息子で友人のエディ(ヒツジのあいつ)

 

いや、俺たちはあいつみたいにそこまで大金持ちの坊ちゃんじゃねえよ。

と各方面から突っ込みが出てきそうですが......

 

彼は先進国における、最近台頭してきた若者の悩み、をすごくよく表現しているなあと、思いました。

 

やりたいことに一生懸命、劇場という物に対して情熱を燃やす主人公のバスター・ムーン(コアラ)に対して、エディ(ひつじ)はやりたいことがなく、ただ怠惰に過ごす日々。両親には自立を促され、庭にあるガレージのような所で一応の一人暮らし。

そして人生の目的を見つけるために『ライフコーチ』が親に雇われて、一緒に人生の目的を考えるための行動プランを考えた。というところ。

 

この、怠惰に暮らしているシーンは、日本における大学生の大半の姿そっくりに見えてしまいました。

(もちろん苦学生とかもいるし、やりたい事に向かって一生懸命な人もいるけれど、最近、自分は何をやったらいいのか分からないっていう人増えている気がするんです)

あの姿は、もしかしたら先進国において平和に暮らしてきたが故に、周りの環境、社会及び世界に危機感や問題意識を持てずに自分に悩む、という人をイメージしているのかな、と感じました。

 

実際、刊行されている書籍とか、ネット上の情報の中にも、

どうやって生きるか、とか

ライフスタイル、とか

あと、コーチンっていう職業が出てきたのって、まさにこの問題を象徴するような出来事なんじゃないかなって思いました。

 

好きな事がない

好きな事はあっても仕事にするほどではない(仕事にするほど好きな訳ではない)

そう言う人って最近多いような気がします。

 

けれどもエディは最終的に、コアラの友人ムーンの夢を一緒に追いかけることで、何かに夢中になる姿、というものを最後に見せて、そしてエンドを迎えます。

これは、大切な友達とか、すごく自分が尊敬する人とか、そう言う人が描いた夢に乗っかるというのも、素敵な自己表現の一つ、というメッセージがある気がしました。

確か、ホリエモンさんだったかも、夢や好きな事がはっきりあるというのも、一つの才能だと言っていました。

 

それはエディが金持ちだったから、と思う人もいるかもしれませんが、映画の中でエディは自分でお金を出す事は一切ありませんでした。家にプールがあって、夜にゆったり泳いだりするくらいの豪邸に金持ちとして住んでいるのに、冒頭の高級なレストランに入ったときには、「僕、そんなにお金持ってない」と言い出しています(笑)

 

彼がやった事といえば、

持っていた海パンをムーンに貸してあげた事。

自分の時間と体を使ってムーンとともに洗車、という労働をした事。

そして大金持ちの自分のおばあさんのナナを紹介した事(というかきっかけを繋いだだけで、交渉はムーンが自分で一生懸命やっていましたね)

 

お金で解決しようと思えば簡単だったのに、彼は、紹介して欲しいと頼まれた人を紹介したり、友人が生きていくために始めた仕事を手伝うという選択をしたのです。

 

これくらいだったら、私達庶民でもできそうなことだなあ、と思わせられる辺り、エディはやっぱり最近のそういう悩みの象徴のような存在だったんだな、と考えさせられます。

 

あと、『ライフコーチ』の役割についても、映画の中で描かれているような気がしました。

映画をさらっとみると、『ライフコーチ』の役割なんてほぼなくて、(というかライフコーチ本人の登場もない)エディが自分で切り開いたように見えます。

が、そういえば友人ムーン(コアラ)が大金持ちのおばあさんナナに会いに行けるきっかけとなったのは、ライフコーチと毎週水曜日にはおばあさんに会いに行く、ということを決めていたから、なのです。

 

おお、ライフコーチ、めっちゃ意味あったじゃん。

と思うと同時に、ライフコーチや世の中における、誰かに相談したら人生が変わる、という類いの物は、言ってしまえばこういうことなんだろうな、とも思います。

本当に何かのきっかけに過ぎなくて、やっぱりどう変わっていくかは本人次第。ライフコーチが登場しないのは、そういう意味もあるのかな、と思いました。

エディの人生はエディの人生で、それに大きな影響を与えている人物は親友のコアラのムーンだったり、その他登場した様々な人達。

ライフコーチは助言は出来ても、その人の人生に登場して活躍する場合は、ほとんどないんだと思います。(もちろん活躍する場合もあるんだと思いますが、元々何も知らない赤の他人同士だった人達が深く親密に人生を変え合うのって相当レアな気がします。見た目は変わっても、本質の中身までは変わらないケースが多い気がします)

 

それと、いくらライフコーチがいても、良い友人がいても、行動しない人は行動しない。エディは、おばあさんのナナに会いに行くのはものすごく嫌そうだったけれど、きちんと実行しています。

嫌な事(苦手な事)だけど、とりあえずやってみる、という彼の行動力は彼自身の力ですよね。

 

『SING』は表面をなぞると、コアラのムーンが主役で、好きな事、情熱を持てる事があるって素敵だし最高だよね。

ということを主張しているようにみえるけれど、その親友の姿から、

でも、無理にやりたいことがなくても、誰かの夢に乗っかる事だってすごく素敵なことだよっていうメッセージを強く感じました。

 

余談になりますが、この映画に登場するどのキャラクターも歌がうまいし、パフォーマンスもめっちゃいいのですが、最初にトップバッターでテレビの向こうのお客さんを引きつけたブタさんコンビはもちろん最高。そしてその途中で最高にクールなDJ力を発揮したエディは、計らずもムーンに才能を発掘してもらった人の一人なんでしょうね。

DJ(とか裏方)がよくないとあんな良いステージにはなってない!