くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

『意識が高い』はもうポジティブな言葉に戻れないのなら

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意識高い、って言う言葉。意味そのままに捉えたら、日本語を習い始めたばかりの外国の人がその意味のまま理解したら、すごく賢い、いい言葉なはずだけれども。

 

残念ながら今日の日本では、そういう意味じゃない。

 

意識高い(笑)が後ろにつくくらい、ちょっと変。おかしい。方向性間違っている。みたいな意味合いで使われている。

toyokeizai.net

四季報でもこんなにこき下ろされる始末。

記事の中の、『「意識高い系」の研究』(文春新書)を上梓した古谷経衡氏は警告する。とあるところをみると、ここでの意識高い系とはこういう人らしい。

(1)自分のプロフィールを誇張する。

(2)SNSで意識の高い発言を連発する。

(3)人脈を必要以上に自慢する。

(4)学生団体を立ち上げて前のめりに活動する。といった特徴がある。
一見、行動力があり、優秀に見える。だが、中身は薄く、行動が空回りしていることが多い。

 

確かにいるいる、こういう人〜

と自分も思うけれども、教育関係に携わってきたせいか、とりあえずやるべきことが分からず、もがいている人をみると、適切な人を紹介したり、チャンスになるような言葉を贈ったりしたくなる。(1)〜(4)って、デバイスが変わっただけで、中学生や高校生にもいるし、もっとミニマムな話しに戻せば小学生にもこういう子いる。

(けれどもそう言う話を聞いているようで聞いていない、みたいな人だったりするから、意識高い系(笑)ってなっちゃうのかもしれないけれど)

 

 

そんな私も学生の時、この言葉をかけられたことがある。

(1)〜(4)まで、見方によっては全部やっていた。本人としては必要以上にやったつもりはないんだけどね。

そして……結果として私が始めたプロジェクトで、私は当時自分の周りにいた同世代には散々嫌がられて、嫌がられて、嫌われた。変革は拒まれた。LINEグループから外された。けれども私が始めたプロジェクトを推進し続けて、今やとても大きなものになっていて、日本全国からその筋の人が集まるようになった。

当時は後輩からは喜ばれるものの、同級生達からの目は鋭く、もはやプロジェクトを止めたいとまで思っていたけれども、なんとか形になるまで続けて後輩に引き継いだその結果だった。

以降数年、その土地には戻らなかった。

けれども、そうやってプロジェクトが大きくなって、たくさんの人に喜ばれるようになった時、始まりを協力してくれた先生であり、今もそのプロジェクトを陰ながら引っ張り続ける方に、「はじまりは君の一本のメールだったんだよ」って言われて、それだけで報われた。

私はそのことについてFacebookを更新する事はなかった。意味ないって分かってたしね。

今でもFacebookを更新する事はもうない。どんなに面白いイベントがあっても、どんなに素敵な本があっても、それを誰かに伝えるという事で「意識高いね(笑)」って言われる事が嫌になったからだ。

私は弱いのかもしれない。

だれかに批判されるのが嫌で、嫌で、隠す。

そういう言われ方しかされた事がないから、自分が何かをやろうとすると全ての行動がそういう「意識高い(笑)」に見えてしまっているのだろうと仮定して、行動する。

私はすごく人からの反応、というものを気にしているんだろう。

嫌われたくない、とか。八方美人なんだとおもう。

(嫌われてもプロジェクトを進めきったあたりは違うのかもしれないけれど)

そうしてFacebookに書き留められない日々の自分の思いは、こうして匿名のブログという形で消化されている。

 

 

そんなこんなでずっとFacebookの更新は止まっていた時、同窓会があった。あんまり気が進まなかったけれど、幹事の子に、ずっと会っていなさすぎてみんな会いたいと思っている、という言葉をかけられ、それなら、と参加した。

同窓会の参加は初めてだった。

 

みんなからかけられる言葉は優しかった。むしろSNS関連を更新しなさ過ぎて、みんなは私が生きているのかどうか心配した時期もあったし、あとはタグ付けされる事が多かったけれども、タグ付けする方々が謎の人物(どっかの社長さんとか、その筋では有名な人とか。その人がすごいだけで私はたまたま一緒にうつっただけなんだけど)ばかりで、けれども私からの記事更新は一切なく……

結論、すごく話しを聞きたかった、と言われて、私はちょっと救われた。

やっぱり、意識高いね、とは言われたけれど。

 

 

「意識高い」という言葉とはいろいろあったけれども、

これから、いわゆる真に意識高い人間になりたいとは思えないし、だからといって、こうして自分が考えている事や思った事を文字に直さずにはいられない。

ひ孫に向けて書いているけれども、(モチベーションの為にも)公にしたい気持ちは抑えられない。

 

 

「意識が高い」はもうポジティブな言葉には戻れない。けれども、私は「意識高い」を止められない。なぜなら、私にとって「意識高い」と言われるような行動は生きる上で必要な行動だからだ。

途上国で毎日水汲みに、5km先の井戸まで歩いている、という話しを、意識高いね、と思うだろうか。いや、思わないだろう。だって、水は必要な物で、そこまで行かないと自分や家族の命に関わるからだ。

私にとって、「意識高い」と呼ばれる行動は、私が生きる為に必要な行動で、危機管理意識から取る行動なんだと思う。

 

ポジティブな言葉に戻れなくても、私はこれからもやめられないのだろう。

けれども、できるかぎり人に迷惑をかけずに生きていきたい。

 

まだまだ葛藤は続きそうだ。

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