くろやんの日記

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【あたしおかあさんだから】より、教育界隈に「がんばる姿で感動したがりな人」が多い理由について考えてみた

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www.huffingtonpost.jp

銀行、建築、食品、IT……一口に社会人、と言っても様々な業界があって、その業界ごとにいる人の雰囲気って違う。

というのは社会人になってから強く感じる事の一つ。

業界内でも部署にとるところで誤差はあるものの、それぞれの業界によって、カラーは絶対ある。

 

というのを考えさせられたのは、最近ネット上で話題になっている

「あたしおかあさんだから」という詩。

色んな人の意見を目にしながら、その中で様々な方が言っていた、学校を含む教育界隈ってこういうがんばる姿で感動したがりな人が多い、ということについて、確かに。と思いました。

教育関係の人と出会うと、大体過程が大事で、結果は二の次。そんなんばっかじゃ社会でダメだよ。という声もよく聞きます。実際そういう人結構いるし、私自身、そういう人と会うと、えーそうじゃないのにな、とか。そこは結果もきちんと追わないと、とか思わされる事多々あります。

なぜそういう人が多いのか、考えてみました。

 

 

そもそも、がんばる姿を褒めてもらう以外の報酬がない現場

民間や私立はまた別かもしれませんが。教育業界における大多数をしめるであろう、公立の小学校、中学校、高校の先生達。

中学校の部活の顧問問題、からご存知の方も増えてきたようですが、公務員の中でも学校の先生達には残業代というものはありません。

けれどもここ数年、子ども達に教えなければいけない内容、というものは減る事はなく、増えています。

いや、ゆとりじゃん。とか思うかもしれませんが、例えばパソコン関係(情報)、英語、そしてこれからはプログラミング。教科以外だと、様々な行事。今の学校業界、行事がない月はほぼないそうです。これってやりたいと自ら増やす先生よりも、向こうの学校ではやってたのになんでこっちはやっていないんだ、という保護者からの要望によるところが大きいのも実情のようです。

細かいようですが、お箸の使い方や鉛筆の使い方。年配の教育関係者に聞いたところ、最近はできることできない子の差が激しいのだとか。

家での差も大きい分、幼稚園、保育園でも年長さんになると園内で補う形で小学校の仕組みを取り入れたりする場面も増えてきているようです。

そんなこんな、増えているのに、じゃあ何を減らしたのか。いや……何も減っていない。

そんなブラック企業、いくらでもある、と下を見れば切りがないですが、そのブラック企業と同じような環境の中、モチベーションは報酬でなければ過程を褒めてもらうしかない。

という現場から、学生のときはさほどではなかった人も、そういう傾向になっていくのでは、と考えました。

それなりに勉強ができていて大学でもがんばって単位を取らないと教員免許って取得できないですから、学生の時点では比較的真面目で勉強もできる人が多いのだと思います。しかも人前で話す度胸もある。今や人手不足気味な民間でそれなりのお給料がもらえそうな人でもその業界に行く、というのは情熱がないと簡単には選べないと思います。

(そういえば一昔前には、でも、しか先生っていう言葉がありましたね)

 

 

教育業界がほぼボランティアで成り立っている

お金ももらえなければ、もちろん雪が降って電車が遅れそうな前日は自腹でホテルに泊まる事さえ推奨され、偉いとされる。

仕事の為だけなら正直やってらんねえって素直に思えますが、教師の相手は子ども。しかも基本、みんな子どもは大好きでこの業界に入ってきます。

自腹とか嫌だけど、子どもに罪はない……そんな思いからほぼボランティア的に活動する幼稚園、保育園、小学校、中学校、の先生は多いように思います。

「子どものためだから」

というのが全ての教育関係者への免罪符のように、お上、地域からふってくる。うーん。怖い。

そしてそこまでがんばったら、どうにかして自分を肯定しないと自分自身が精神崩壊してしまう、故の、がんばる姿で感動したがり、につながっているのでしょうか。

 

 

いざ、子どもを目の前にすると、過程も褒めてあげたい。

子どもがいる方は、分かるーそれ。と言う方が多いような。いざ子どもを目の前にすると、頑張っていたらそれを褒めてあげたくなります。

フルマラソンで最後まで走りきってラスト100mまできたけどフラフラな選手に応援するときの感情と少し似ているかもしれません。自分の事じゃないけれど、頑張っている人をみると応援したくなる。

何でもかんでも過程を褒めればいい、という癖は変だな、とは思いますし、時と場合によってきちんと結果も重視したいものですが、教育関係者、というのは出来ない状態にあった子ども、という存在と二人三脚のようにがんばって、100パーセントの結果が出る事もあれば、50パーセントだったり、まれに目標に対しては0パーセントだったりします。

でも、本気で頑張った人(と場合によっては自分も相当頑張っている状態)に、冷静になれればいいのですが、人間中々難しい。

しかもそれが一人ではないし、一年に一度というわけでもない。たくさんの人が相手で、さらにそれは毎日のように起こる。

0であってもエジソン的な、失敗する方法をみつけたんだよ、の言葉をかけるのがいいのでしょうが、考えたりするうちにいろいろねじ曲がってしまうのかもしれませんね。

大人相手には結果も求めて欲しいとは思いますが。

 

 

過程を大事にしたり、子どもという柔軟な存在を目の前に働く教育業界の方はある意味芸術家とも似ているのかもしれませんね。

もっとこんなものがあれば教育にいいのに。

もっとこういうことができれば教育にいいのに。

すごく大事な考え方で、そういった思いの先に生まれた工夫で日本の教育って成り立っている。授業研究という文化は日本独特だそうです。

そう、先生方って年に一回(サボっている方もいるそうですが)授業を研究して発表しているんですよね。ある意味全員学者なのです。

うーん。たしかに大学の先生ってちょっと芸術家というか、浮世離れしているというか、机上の空論というか。

その机上の空論から大発見が生まれたりする訳ですが……

とはいえ、日本って今相当な赤字国家なので、日本という国が赤字である以上、公の機関というのは苦しくなりがちだという事実も抑えてほしいな、とは思いますが。

 

 

というわけで、教育界隈に「がんばる姿で感動したがりな人」が多い理由について考えてみました。