くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

人生で一番嬉しかった表彰は、私に『大人の世界の道理』を教えてくれた

今週のお題「表彰状」

 

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表彰されたこと、ある?

幸せなことに、子どもの頃からちょこちょこと表彰される機会がありました。習字もピアノも習っていない、水泳やミニバスはやっていたけれどスポーツは得意な子がわんさかいるど田舎で、私が表彰されることが多かったのは作文の分野でした。

本好きで語彙力が高かったことと、田舎ということで競争率が低かったことがプラスに働いたのだと思います。

 

けれども、人生で一番嬉しく、記憶に残った表彰は作文の分野ではなく、中学の部活動でした。

 

中学の頃、部活動はソフトテニス部を選びました。元々バトミントンが好きだったのですが、ラケット競技はソフトテニスしかなかったのでソフトテニスを選ぶ、(高校でバトミントンをやるためにラケットに慣れておこう、みたいなことも考えていた)という理由でしたが、楽しかったので割と上達しました。

 

小学校までミニバスをやっていて体力の基礎は合った上に、小さい学校で文化部がない状態のうちの中学は比較的運動が苦手な子が入るのがソフトテニス部だったのもあり、やる気にみなぎる私は同学年の中で自然とみんなを引っ張る存在にもなりました。

他にも、近所に住んでいるおじいさんが、実はシニアで現役でも活躍しているすごい人(たまに海外の大会にも出ていた)で、数年前からコーチに来てくださっていた幸運と、

運動は苦手でも、学年の賢い子が集まっていたため、ひたすら戦術を研究したり、練習方法を自主的に工夫したり、切磋琢磨しあえる環境

というものが重なって、郡部の地区大会(といっても郡部にうちともう一つしかソフトテニス部がないので2校対決)では常勝。県大会ではそこそこ勝ち上がれる、くらいのチームでした。

人数が自分たちの倍以上いる学校に勝つときはいつも気持ちよかったことを記憶しています(笑)

 

 

ただ、私が三年生になるとき、状況は大きく変わりました。

まず、学校が統廃合によってこれまでとは違う環境になること。(ただしソフトテニス部は自分たちの学校にしかなかったため、部活の合体は起こらず)もう一つは、市町村の合併で地区大会が、大きな市の大会になることでした。

これまでよりも県大会にでるハードルが大きく上がったのです

ハードルが大きく上がった、というのも、当時はものすごく大きく考えていました。というのも、学校が田舎にありすぎたのと、強い印象は持たれておらず、練習試合等をお願いしても断られ続けて、私達は大会以外の練習試合をほとんどしたことがなかったのです。

 

実際に統合してからも大変でした。校庭ができていないのに統合してしまい、多くの部活動はそれぞれ市が持っている河川敷まで走っていって練習する等、……ソフトテニス部もコートできちんと練習することが中々できなかったのです。

それでも元々地域で練習試合を多くこなし、強豪とされている部活動は、活動先まで優先的にスクールバスを回してもらえたりしていて、ここで私は、実力あるものとないものの差、というものを突きつけられたように思いました。

もちろん先生に直談判もしてみたりもしましたが、効果のほどはなく、私達はこれまでの三年間至上、最も悪いコンデションの中、市大会を迎えました。

 

結論から言うと、市大会では、大会関係者いわく、大番狂わせの結果となりました。

団体戦は準優勝。それでも決勝戦では、県大会で決勝まで行くようなチームと競り合いました。

個人戦では部長でありキャプテンである私は優勝。三位にも私の学校の組が入りました。(ちなみに途中で同士討ちになっての三位です)

市大会ということで、長い長いトーナメント戦を勝ち上がって、最後の頂点に辿り着いた気持ちよさは今でも忘れられません。

しかも準決勝の同士討ち以外は全てストレート勝ち。0点ゲームもありました。決勝戦も圧倒的だったのです。

 

表彰された時、親ももちろん喜んでくれましたが、一番喜んでくれたのはコーチだったかもしれません。

コーチは絶対に怒鳴らないコーチで、ソフトテニスをまず楽しむことが大事、ということを常に言い続けてくれた人でした。

相手校のコーチが怒鳴りまくりの人とかもいたので、コーチは自分が信じてきた指導が間違っていなかったことを確信してくれたと思います。

また、様々な人達への感謝の気持ちも自然に湧きました。とりあえず合併した範囲が広過ぎて、市内の大会なのに会場まで車で2時間ほどはかかる道程。(電車は田舎なんでないです)朝が超絶早く、それだけでも親に感謝です。

他にも人数が少ない故に応援していも1回戦なんかは肩身が狭い思いをしていたりもしていました。

体育会系の方なら分かるかと思いますが、人数が多い、かつ中途半端に強豪なところの保護者 はなぜかすごく会場で幅をきかせていたりします(笑)

勝戦でさえ、人数が多い相手チームが周囲を囲んでいたので、その間からうちの親はひっそりと同じチームの親と見ていたようです。

それでも応援に来て、車の送迎も出してくれて、と色々やってくれていた母には本当にありがとうの気持ちでいっぱいになりました。

これまで2校としか戦ったことがない地区大会でもらっていた賞状よりも、とても重たく感じましたし、市大会としては第一回目だった大会の初代チャンピオンになれたこと、そしてこれだけの人数の頂点というのも初めてだったので、自分の中ではそれだけでも忘れられない『表彰』でした。

 

 

けれどもその後の状況で、私はより、この『表彰』が忘れられないものになりました。

まず、県大会でも強豪の学校を打ち破っての個人戦優勝は、翌日割と大きめに地元の新聞に載りました。

休みが明けて学校に行くと、色んな先生方に声をかけてもらいました。

さらに校長先生にも直接声をかけてもらい、今後はスクールバスも優先して乗せてもらえるようにもなりました。

さらに次の日から学校に練習試合の問い合わせがわんさかくるようになったのです。

 

嬉しい気持ちと同時に、結果を出すことの大切さを、身を以て学んだような気がしました。

結果が出てから手のひらを返すように優しくなった先生方に対して、特に怨念のような気持ちはありませんが、世の中って単純だと思うと同時に、シビアだとも感じました。

 

 

世の中もちろん、必ずしも結果だけではないです。過程に価値があることだって山ほどあるし、その過程の価値が結果をひっくり返すこともままあると思います。

それでもやっぱり結果というのは強いです。

話は大きくなりますが、オリンピックの舞台というのはそういうことがたくさん起きるなあ、とも思います。

フェンシング銀メダリストの太田選手も、メダルを取ったときはニートで、職が欲しい旨をインタビューで語っていたことが印象的でしたし。

今回だと、高梨選手に向けられていた大人達の目がなんと厳しい(でもスポンサーの意向だよね、基本。とも思ったけれど)ものだろう、とも思いました。

 

私自身が経験したことなんて、オリンピックなんて遠く及ばないたかが市大会レベルの話ですが、それでも強く「結果」の強さを考えさせらた、

私にとって、『大人の道理の世界』を学んだ第一歩でもある表彰だったなあ、と思います。