くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

反抗期、父と私は1週間に1度でさえ口をきかなかった

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ふと、自分が高校生の頃を思い出した。

高校生活の3年間。私は父とほぼ会話をした記憶がない。

よくある反抗期ではなく、物理的に会う事ができず会話が成立しなかったのだ。

 

高校はそこそこ遠かった。

一番近い高校まで片道1時間。電車で。電車も1時間に1本あるか、ないか、みたいなところだったから、当然朝は早い。

部活の朝練もあったし、始発で出て、家に帰ってくるとご飯、お風呂を済ませてすぐに寝てしまっていた。

休日も部活。午前だけ、午後だけの日もあったけれど、行き帰りに時間がかかっているし、正直お店とか本屋さんがある高校周辺で友達といる方が楽しかったし、図書館もあるから勉強も家でなく図書館か学校でやっていた。

だから本当に、家には寝るのと夕ご飯を食べに帰るだけ。

朝ご飯は自分で用意して食べるルールは中学から継続だったし、お弁当も同じだった。

 

父は私より朝が遅かったし、夜は私よりも少しだけ遅かった。

少しだけだから待っていれば良いのかもしれないけれど、部活で疲れた成長期の体は睡眠を欲していた。要するに、睡眠欲が勝った。

 

友達がいうような、お父さんとのけんかは一度も怒らなかった。

お父さんと洗濯物を一緒にして欲しくない、とか、もっといえば、別にお風呂も一緒じゃやだ、みたいな気持ちも湧かなかった。

 

父は厳しい人だった。

基本的におねだりは通じない。誕生日プレゼント以外で物を買ってもらった事はないし、そういうもんだと思っていた。

 

 

高校を卒業して大学に入学して、初めて帰省をした時、私は驚いた。

まず、父が朝、昼、晩とすべてのごはんを作ってくれた。

我が家は父が料理をする家だったので、小さい頃は休日の夕食は基本的に父の料理だったことは覚えていたが、私が大きくなってからはそんなことがなかったのでまずびっくりした。

 

それから一人暮らしに足りない物はないのか、散々聞かれた。

そして一緒にニトリに行ってくれた。

 

とことん甘やかされて、お父さんどうしたんだろう。と思わず母に聞いた。

母は、娘が離れて、久しぶりに帰ってきたのが嬉しいんじゃない?と言った。

そうか。これが娘効果。

 

反抗期にけんかもしなかったせいか、私は特別父に対して確執的な気持ちは一切持っていなかった。

一度だって口をきかなかったけれど、それはある意味、父の方が娘との距離をとってくれていたのかもしれない。

 

子どもが反抗期のときの親の態度に正解なんてないんだろうけれど、我が家は反抗期に親が子どもと適度に距離を保つ、ということで大きなこじれもなく過ぎ去ったように思う。

私は遠くの高校に通う事で、1日のうち親といる時間は友達といる時間よりも短くなった。弟は中学卒業と同時に家を出て寮に入り、そこで先輩に鍛えられて帰ってきた。

 

思えば、昔って13〜15歳のうちには、お嫁に行くなり奉公に行くなり、自立していったんだもんな。

今は教育機関が長いからなかなか難しいのかもしれないけれど、案外人間の心の成長には合っていた習慣だったのかもしれない。

 

なんてことを思いました。