くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

仕事ができると幸せ、という問題について

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diamond.jp

 

なるほど。確かに、東大出ているくせに最近の若者は仕事ができない、とか。高学歴ワーキングプア、とか言われているようなやつとついつい結びつけたくなってしまう気がします。

が、そこはぐっとこらえて、こう思ってしまう問題の本質がどこにあるのか、考えてみる事にしました。

 

―記事をみて思った事

◯そもそも成績優秀とはどこを指すのか

→どこと比べてなのかにもよるが、母数が減る中、上層の人程海外含む日本ではない場所、ステージを選ぶ事が容易になっている時代

◯仕事のミスも時間に遅れる、も昔からあったのではないか

→テクノロジーによって可視化が進んで管理しやすくなっただけで、ミス、遅れる等の行動を起こしてしまう人間の割合に変化は本当にあったのか

◯成績優秀者になればなるほど、多分いわゆる人間としてのバランスは崩れているのでは

→天才って本当に変な人多い、本人そのつもりなくても事前知識なしだったり、順を追わずにそういう人に突然会うと、免疫無いのでこいつヤバい奴って思う人多い気がする。それは今でも昔でもそうなんじゃないかなあ……

◯っていうかそもそも人間としてのバランスって何よ?

→完璧な人間の定義は人間にはできないのでは?完璧な人間を誰かが定義したとしたら、どこかにその定義した人間にとって良い、って部分が入ってしまうのでは

 

 

ーそもそも時代が違えば、適合できる人間の種類も変わってくる

狩猟時代にモテていた人と現代においてモテる人はきっと全然、タイプが違う。

狩猟時代は体力があって、力持ちで、それでいて食べ物を取ってくる能力値が高かった人がモテていたんじゃないでしょうか。つまり自然の中から稼いでこれる人。

もちろん狩る能力を発揮する為に頭脳も大切だったと思うけれど、今よりも瞬発的な判断力がすごく重要視されてただろうし。

今は体力が多少なくても、頭をしっかりつかって人間社会の中で稼いで来れる人の方がモテている気がします。

もっと時代を近づければ、日本が農業従事者が一番多かった時代と、サラリーマンが多くなった現代では、それぞれ適合できる人間の種類が違う。

農業中心で生きていた頃だったら、多少文字の読み書きなんてできなくても問題なかっただろうし、どっちかっていうと、天候の変化を肌でしっかり感じ取れる、とかそういう方が必要な力だったんじゃないかな。

でも今は読み書きは必須だし、さらに情報を読み取って考える力も大事。昔は優秀、と呼ばれていた人が、今の現代に生きていても優秀な層に入ったかどうかは分からないけれど可能性は多分低い。

 

そしてこれは時代だけでなく、場所でも大きく変わる。

 

 

ー「恵まれている」は相対的な世界の話

時代もそうだし、住む場所が違えば恵まれているの定義もかなり大きく変わる。これは今の日本という1国の中でもだいぶかわるんじゃないだろうか。

都会に住む人と地方の自然の中で暮らしている人とでは、多分幸せって違うし、生き残るための能力も少しずつ違うんだと思う。

もちろんインターネットが出てきたから、差異はもうほとんどないんだろうけれど、そもそも幸せの定義が違うから、やっぱり「恵まれている」は一概には言えない言葉。

 

ー仕事ができると幸せ、という問題について

仕事っていうのは、誰かの役に立っている事で、自分自身も心地よい事だから。苦しいのは奴隷的だよね。そして全時代の奴隷も、幸せを感じていた一部の奴隷を除いて、ほとんどそれは義務。

そういう意味で、仕事ができる人っていうのは仕事を選べる立場にも生きやすいから幸せなのかもしれない。

でもこの仕事、というのは時代によって変わる訳で、最初にリンクを貼った記事のことで言うと、前時代的な育てられ方をしたら、変化した時代の仕事に人間がマッチしていないだけでは?とも考えられる。

発達障害って、障害があるように見えるからそう名前がついたわけで。そろそろ、仕組みが人間に合っていないっていう思考の転換をしないといけないのかもしれない。