くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳ーPersistence makes me.

アフリカのことわざから考えさせられた、ゴールに辿り着く為の哲学

 

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 「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければ皆で進め」

ーアフリカのことわざ

 

 

今日読んだ本に書いてあったのですが、初見ではなく、何となく聞いた事はあったような気がしたのは、この映画を見たせいかもしれません。 

スーダンからの難民がアメリカに渡ったその後を描いているのですが、作中に難民達がどのようにしてキャンプに辿り着くのか、という描写があります。

そこで知ったのが、彼らは何百キロという気の遠くなるような距離を歩いて国境を越えて他国に逃げ込んでいたという事。

ある村で生き残った若者(日本だったら子ども)達がひたすらみんなで協力して歩き続ける姿を見ていると、一人じゃ絶対辿り着けない(というか気力が持たない)、みんなで歩くから歩き続けられるんだ、と強く感じたシーンでした。

 

今日このことわざに出会ったのは、この本の中でした。

一人の作者にハマると、しばらく同じ作者で本を選んで読み続けるんですが、これもそんな経緯で出会った一冊。

今やe-スポーツとか言われて、プロゲーマーという言葉も少なくとも若い世代には膾炙されてきましたが、その先駆者的存在である梅原大吾さんと社会はブロガーちきりんさんの対談をまとめた本です。

 

普通の人の角度よりも圧倒的に鋭い角度の視点からの意見が飛び交っている1冊でした。対談というと、ジャンルが似ている同士、意見の方向性自体は似ている同士、が多いかな〜という印象で読み始めたのですが、この2人は人生の位置づけという本質は似ていても意見自体は結構逆だったりして、読んでいてとても刺激的でした。

こういう対談を読んでいると、自分も思考を鋭く磨いて、全然違う角度のこれまた鋭い人とお話しできるようになりたいな、と思ったり。

 

この対談途中ででてきたのが、冒頭で出したアフリカのことわざでした。

梅原さんはプロゲーマー界でのこと、ちきりんさんは日本の製造業ののし上がり方を例に、一人きりで国内ナンバー1になっても、それは国全体のレベルを上げる事にはならない、ということをお話しされていました。

 

梅原さんは自分自身の技を惜しみなく、すぐに周囲に話す事によって日本全体を底上げし、結果として日本は全体として強くなれた、という結果がついてきた。

ちきりんさん曰く、これは一昔前の日本の製造業でも同じ事があったようで、生産管理とか品質管理をみんなで教え合って、オールジャパンが世界に認められる事を目指したそうです。アメリカだとコンサルに高いお金を払ってノウハウを買わなければいけない状況だったところ、日本はお互いに無料で教え合っていたのだとか。

全然そんなこと知らなかったし、調べようとも思った事がなかったので、日本ってそんな事してたんだーと正直びっくりしました。

 

以前にマッキンゼーの仕事術に関する本を読んだとき、マッキンゼー社員は良いと思った事はお互いに出し惜しみせず、教え合って全体のレベルアップに努めているんだ、という内容があって、さすが世界のマッキンゼー!意識高いな!とか思ったんですが、日本の製造業が、それを会社という垣根を越えてやっていたんだ、って思うと会社内だけでやるよりすごいことだし、製造業が世界という舞台に行けた事実にも納得だなあと思いました。

 

また、このことわざから最近たまに話題に出る、「インクルーシブ教育」のことも想起させられました。

h-navi.jp

ざっくりいうと、これまで障がいのある子どもたちって、特別支援学校(旧盲学校・聾学校養護学校)に行ったり、支援学級に行くにしても自校ではなくその地域の子達を受け入れている別の学校までわざわざ特定の曜日、特定の時間だけ子どもが通っていたり、とにかく普通級とは分けて、というところが大筋でした。

 

しかし最近、できるかぎりみんなが同じ場所で学べるように配慮する、例えば子どもが通う形式だったのを支援級の先生が子どもの元にやってくる、みたいな配慮の方向性に変化してきたのです。

障害のある人でも健常者でも使いやすいような物をユニバーサルデザインって行ったりしますが、方向性としては、学校・教室という場所、環境をユニバーサルデザインにしていくって感じ、という表現が個人的にはしっくりきています。

 

そもそも社会に出たら、いろんな人がいるっていうのは前提なはずなのに、人間関係を学ぶ場所でカテゴライズをしていたら、確かに本質的な学びにはなっていませんね。学校が社会の縮図、リアルな社会を学ぶ場に、という意味付けをするなら、とても大事な事なんじゃないかなあと個人的には思います。

そりゃあ、勉強をスピーディーにすすめるべきなら、「早く行きたければ一人で進め」ということですが、「遠くまで(人が辿り着きたい未来へ)行きたければ皆で進め」ということで、結果的にゴールに辿り着くためには、色んな人がいる中で学ぶ機会も結構意味がある事なんじゃないかな、と思いました。

※もちろん時期によっては、それぞれ個人が手早く学べる場所を選んで進む事も大事だと思います。遠くまで行くにしても、時に仲間の一人が早く進んで、危険を察知することが必要なように。

 

 

早く進む事=ゴールに辿り着ける、という式は必ずしも成り立つわけではないと考えています。

というのも、もしも早く進む事でゴールにきちんと辿り着けるなら、エリート教育(一部の優秀層ががんばって世の中を良くしてくれる)はもっと崇められ、世界中でたくさん行われているような気がするのですが、必ずしもそうではないし、歴史を見ていると、必ずしもエリートが世界を平和な方向に導いてきた訳でもないです。

それこそ昔の白人が白人だけで、のように一部の人種だけで、日本で言うなら男性だらけの会議……ではなく、いろんな国の人が一緒になって、また、男性だけでなく女性も交えて色々考えている現代の世の中の方が、私達人間が望んでいるような世界に近づいているんじゃないでしょうか。

 

 

私は人にとってのゴールって、急げば辿り着くような場所にあるわけではないと思っています。そもそも何がゴールだよっていう話は置いておいて、最小被害で最大幸福を、ということを考えたとき、そこには「遠くに行きたければ皆で進め」という哲学が私達には必要なんじゃないかな、と思います。